ヨッシーのメモ帳

日々の生活での出来事を書いたり、趣味について考えたことを書いたり(の予定)。

ここ1ヶ月の近況のお知らせ(前半)

お久しぶりです。

長らくブログに記事を書いていなかったので、「ブログに飽きた?」と思われた読者もいるかもしれません。が、決してそんな事はなく、日頃からブログに書きたい内容は頭の中に思い浮かびはするものの、ブログの作成ページを開くことに何か大きな労力を感じて、記事の作成までには至れないことが多いです。どうしてだろう…。

ここ1ヶ月半はブログはおろか、Twitterなども含めて何もネット活動をしていないと言える状態だったので、ある知人に生きてるのかすら心配された事もありましたが、リアルでは相変わらず?比較的元気に過ごしています。有難うございます。

 

今回の記事ではここ1ヶ月ほどの私の近況を簡単にお伝えします。

(1)ニュース検定には合格していた

前回の記事で、6月23日にニュース検定を受けて、ネットでの正答発表後に自己採点してみると、「後1問正解していれば合格」という惜しい結果だったと書きました。

ところがそれから数週間ほど経って協会から封筒が届き、それに合格証書が入っていたので驚きました。

同じ封筒に入っていた成績表を見ると、確かに点数は合格点であるはずの7割にギリギリ達していなかったのですが、それでもなぜか合格になっていました。

検定サイトに載っていた7割という合格点は目安? すっかり不合格だと確信していたので、こんな事もあるのか…と思い、今でも不思議な気持ちです。

合格証書を手に入れ、嬉しさともどかしさの両方ともありますが、素直に喜ぶことにし、今後の励みとします。

 

(2)ライブチケットの争い

7月の初め、「9月28日に熊本で倉木麻衣さんのライブがある」という情報を友達から教えられ、そのライブを二人で観に行こう!という話が持ち上がりました。

そこで、そのチケット二人分の購入を私が行うことになりました。それぞれ自分のチケットを買ったら、席の位置が離れる可能性が高いですからね。

有名なアーティストさんのライブが熊本で行われるのは少ないためか、今に至るまでライブを一度も観に行ったことがない私は、チケットを買う経験も初めてでした。

ネットで調べると、すぐにチケットを購入するサイト(ローソンチケット)を見つけました。ただ、販売開始は7月13日(土)の朝10時からでまだ先だったので、売り切れて買いそびれることのないよう、その日時になったら即座に購入することに決めました。

 

当日、寝坊せずに起きて、PCを起動して購入ページを開き、画面右下の時計が10:00になるのを待ち構えました。

そしてその時刻になった瞬間、購入ページを更新し、購入手続きを始めようとしました。すると…。

「エラー!大変混み合っていますので、時間をおいて再度試してください」

という、細かい文面は思い出せませんが、そういう趣旨の通知が代わりに出てきました。

時間をおくわけにはいかず、すぐに更新ボタンを押しましたが、やはり同じエラーが。しかし何度か押すとようやく購入ページへたどり着けました。これで一安心し、チケットの枚数を入力し、購入手続きに進むボタンを押しました。すると、何とまたエラーが出現…。

諦めずに再び購入ページを開きましたが、また同じタイミングでエラーになりました。

そして次に同じページを開くと…チケットの種類を選択するボタンは無効になっており、販売状況の欄を見ると「予定枚数終了」の文字が。

この間、わずか3分の出来事でした。

 

結局、倉木麻衣さんのチケットを一枚も購入できず、友達に伝えるとがっかりされてしまいました。私も初ライブに行きたかった…。

しかしまだ購入を諦めているわけではなく、今はチケットの転売サイトで提供してくれる人がいないかなあと探している状況です。

それにしても、人気アーティストのチケットは開始10分も経たずに完売することがあるのは、テレビでしばしば耳にした事がありますが、販売開始と同時に買おうとしたとしてもチケットを入手できる保証はない事は初めて知りました。

これではまるで抽選みたいと思いました。ネットからより、直接ローソンで受付してもらった方が確実なのかな?

◇◇◇

他にも取り上げたい体験がありますが、長くなりましたので続きは後半の記事に書きたいと思います。ご一読に感謝します。

ニュース検定を受検

先月、ニュース時事能力検定という資格試験に申し込んでみました。

この検定の存在を知った時期はほんの数か月くらい前で、たまたま新聞を読んでた時に広告欄に目をやると、「ニュースへの関心がよりよい社会を作る」という、この検定のキャッチコピーが目に入り、それをきっかけに興味を持ち始めました。これまで累計で41万人以上が受験しているらしいです。

この試験に申し込んでみた理由は…、ブログのネタを作るため、というのもありますが、私が持ってる社会の知識がどれほどなのか試してみたいと思ったのに加え、何か今までやった事のない新しい事をやってみたいと思ったからです。

私の場合、新しい事にチャレンジしたり、普段慣れてない事をやったりすると、何か新しい発見が得られたりして成長できることが多いです。

 

ニュース検定のレベルは難しい方から順に、1級→2級→準2級→3級→4級→5級の6つがあります。 1級は「大学・一般人レベル」、5級は「小学・中学レベル」とのことです。

試しに、検定のサイト上に掲載されている各レベルの過去問にチャレンジしてみました。各レベルとも5つの問題(どれも4つの選択肢から1つの正解を選ぶ方式)が用意されていて、それぞれの成績は以下の通りでした。

 

【1級】1問 【2級】5問 【準2級】4問

【3級】5問 【4級】5問 【5級】5問

 

ふだん新聞を読むのは平均して一日10~20分くらいで、そのため社会で起きてるニュースには詳しいと言える自信がない私なのですが、意外にも上から2番目の2級で全問正解でき、望外でした。(最難関の1級は歯が立たず)

この成績から、今回の初めての受検では2級を受けてみることにしました。

 

ニュース検定の公式教材があると知ったので、その教材をe-honというオンライン書店から注文して、後日に書店へ行って代金引き換えで受け取りました。

本を自宅へ配達してもらうよう頼むと送料が数百円もかかるので、書店で受け取るようにしてその分を節約しました。

 

さて、その教材を手にした日は今月の10日でした。試験日は23日だったので、準備期間は2週間ほどしかありませんでした。

このおよそ2週間の間に、テキスト全135ページ中、54ページまで読み終えて試験に臨みました。当初は最後のページまで全部読みたいと思ってたのですが、1ページだけでも文章の記述量が多くて読み進めるのに時間がかかり、2週間のうちに全部読み終えるのは大変だと感じたことと、何より、先に挑戦した過去問で全問正解(5問だけだったが)できていたので、「そこまでしなくても余裕で合格できるはず」と思ってしまいました。

試験時間は50分で、その間に45問(どの問題も4つの選択肢から一つの正解を選ぶ方式)を解きます。7割取れれば合格、取れなければ不合格です。

ちなみに私が受けた熊本の会場は、受検者の年齢層は子どもから大人まで幅広くいましたが、その数は自分を含め13人で、思っていたより少なかったです。1級の受検者が一人も居なかったのも意外でした。

試験は、前半の25分にじっくり考えすぎていたため、最後はバタバタになってしまいましたが、何とか全問解答できました。終わった時は手応えがあり、7割は取れたと確信していました。

5日後の28日(金)に試験の解答発表が検定のサイト上でありました。どのくらい正解したのか興味を持ったので自己採点してみました。

その結果は31問(45問中)。点数は…68点。

なんと、不合格でした…。後1問だけでも合っていれば合格でした。

予想に比べて多くの問題を間違えていて、ガクっとしてしまいました。

合格できなかった敗因はいくつか考えられますが、最大の原因は、教材を読むページ数がまだまだ不足していたこと、だったなあ…。勉強に回せる時間は十分あったのに、それをしていなかったのは反省するしかありません。

 

今年のニュース検定は後9月と11月に行われる予定になっています。11月にもう一度チャレンジしてみようと思います。

別れの日

6日に父方の祖父が亡くなりました。94歳でした。

先月の20日夜にバイトから帰宅すると、祖父が父の実家のトイレで倒れた事を母から伝えられ、その日の深夜に搬送先の病院まで母と二人で車で駆けつけました。

母と救急連絡した父と3人で待合室にて1時間ほど待つと、病院のスタッフから私たちの名前が呼ばれ、祖父が担架に乗せられて治療室から出てきました。倒れたものの意識はあると事前に聞いていましたが、その時の祖父は目を閉じて微動だにせず、そのまま別の治療室まで運ばれていきました。

担当医から肺の病気にかかっている可能性があると告げられました。ただ、その日のうちに病名の特定はできず、検査には数日かかると説明されました。

再び治療室から出てきた祖父は、病室まで運ばれていきました。祖父の身体がベッドに下ろされると、しばらくして少しだけ声を出してくれました。声を聞けて意識があると分かったのは一安心しましたが、身体の方は依然として動かしていませんでした。

別れ際、祖父の耳元に近付いて「さよなら」と声を掛けました。反応は返って来なかったものの、きっと自分の声は届いているはずと思って病室を後にしました。

病状が良くなって再び元気な姿を見せてくれると信じていましたが、残念ながら私が生前の祖父の姿を見たのはこの時が最後になってしまいました。

 

物静かで穏やかな性格で、私が子どもの頃からずっとお世話になっていました。

毎年の元日には家族で祖父母の家を訪ねて、共に新年を祝っていました。子どもの頃はお年玉をもらっていました。

小学生の頃、弟と二人で祖父母の家に一泊したことがありました。車庫に置いてあった祖父のバイクを興味本位で動かしてたら、それが見つかって怒られた事を覚えています。温厚な祖父から怒られたのはその時の一度しかなかったので、今でも思い出の一つに残っています。

 

祖父母は家庭菜園をやっていて、栽培した野菜や果物はよく私たち家族の食卓に並んでいました。去年の秋には、熟した柿が多く実った木から柿を、「こんなに全部食べれるのかな?」と思うほどたくさんちぎって自宅に持ち帰り、毎日のように食後に食べていました。どの柿も甘くて美味しかった!

私はそれまで柿は好きでも嫌いでもなかったのですが、その時からすっかり柿好きになりました。

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(祖父母の家の庭にある柿の木。9日撮影)

 

祖父母の家に顔を見せに行くのは、ここ数年は月に1回あるか無いかほどになっていましたが、訪ねた際は私が祖父に「こんにちは」と挨拶すると、祖父は「おおっ、来たか」と嬉しそうに笑顔で返答するのが常でした。もうその挨拶を交わす事は無いと思うと寂しいです。

 

子どもの頃から数え切れないくらい野菜や果物をもらったり、お小遣いやお年玉を頂いたりしたにも関わらず、自分から祖父に何かプレゼントを送ったり、日頃の感謝の気持ちをはっきりと伝えたりした記憶は残念ながら無く、その点はモヤモヤした気持ちが残っています。学校を卒業したこと、大学生活をしてた時にバイトを頑張ってること、社会人になったことなど、スローペースながら自分の成長を報告できたのが、それに応える形になっていたでしょうか…。

幼少期に祖父の顔を覚えてから今まで、25年近くのお付き合いでした。

長い間、有難うございました。そして、お疲れ様でした。

マウスカーソルの不具合

2週間前の夜、パソコンを使っていたら、画面のマウスカーソルが無線のマウスの操作に合わせて中々動いてくれなくなってしまいました。

カーソルが時々正常に動かなくなる現象はそれまでも日常的に経験していたのですが、いつもはマウス裏面にある電源のスイッチを切り替える操作をすることで、すぐに直ってくれる事がほとんどでした。しかし今回は何度切り替えても改善されず…。

他にも、パソコンに差し込んでる無線マウスのレシーバーを抜き差ししたり、電波の干渉が原因かなと思って、近くに置いてあったスマホをマウスから遠ざけたりもしてみましたが、どちらも効果はなく、自分がすぐに思いつく方法は試し終えてしまいました。

「このマウス、買ってまだ数カ月しか経ってないのに…」

元々このマウスを買ったきっかけは、それまで使っていた有線のマウスが誤動作する(ワンクリックがよくダブルクリックと認識されてしまう)ようになったからでした。

「早くも修理に出さなくちゃいけないかなあ…」とやや諦めに入りました。しかし、買ってまだ間もないのに簡単に壊れるわけがない、と思いました。

そこで、昔の有線のマウスをパソコンにつないで、誤動作を気にしつつもネットで不具合の解決手段を調べてみました。すると…

「あ、そういえばこのマウスには電池を入れるケースがあったじゃん」

長い間愛用していた有線のマウスでは電池が必要なかった(電力はUSBのケーブルを通して供給されていた)から、新しい無線のマウスでの電池の存在をうっかりしていました。

早速、電池を新しいものに交換すると…しばらく経って元の快適な動作に戻ってくれました!

調べる前は「解決には何か中~上級者向けの方法が必要になるかな?」とやや気構えていましたが、分かってみるとかなり単純なことだったので、拍子抜けしちゃいました。

5月9日(木)の日記

お久しぶりです。ブログの更新が開設直後の数日間3記事のみで、すっかり三日坊主のようになってしまっていました。

文章を書くのが十分に得意でない私は、一つの記事を書き終えるのに2~3時間以上も費やすことが多いです。力を入れて記事を仕上げるのも良いけど、それが記事作成のハードルを上げてしまう面もあるから、あまり力まずに気軽な気持ちで書けるようになりたい。

 

今回の記事は、ちょっと前になりますが、1週間前の9日(木)の日記です。

その日は、日頃ちょくちょく会っている小中学生時代の友達と遊びました。

しばらく、その友達と私の間の過去の経緯について、少し長くなりますが書いてみます。

その友達とは特に小学生の頃はよく遊ぶ仲でした。外の公園で遊んだり、自宅でゲームを楽しんだりしていました。しかし、中学になってからはクラスが別々になったためか、会って遊ぶ機会は少なくなりました。

そして中学を卒業してからはお互い違う進路に進んで離れ離れになり、長い間連絡を取り合わなくなってしまいました。

転機があったのは7年前の夏、私がフェイスブックにハマっていた頃のことでした。その友達もフェイスブックを利用していたため、偶然にもそこで再会することに。

それからは久しぶりに再会できた喜びから、しばらく一対一でメッセージをかわしたり、投稿した記事を読み合ったりしていました。しかし数か月経つと、私のフェイスブック熱がだんだん落ちてしまった事と、繋がれた学生時代の同級生といつでも連絡を取り合える安心感から、私がフェイスブックに年間数回ほどしかログインしなくなってしまい、その友達とも再び長い間連絡がない状態になってしまいました。

再び転機があったのは再会して5年後、一昨年の5~6月に久しぶりにログインしてみると、約1年前にその友達からメッセージが来ていたのに気が付きました。

返答が遅れたことを詫びると、それをきっかけに久々に会話が始まり、やがて、どちらも学生時代と同じ地域に住んでることが分かると、「実際に会おう!」という話になりました。住んでる市の中心街で後日の夕方に会う約束をしました。

仕事が終わってすぐその場所まで行きました。事前に大人になった現在の顔写真を見せ合ってなかったので「本当に一緒になれるのかな」と不安を感じましたが、多くの人が通りにいたにも関わらず、双方とも顔も体格も子供の頃とそんなに変わってなかったため、難なく識別することができました。顔を合わせたのは11年ぶりのことで、感慨深いものがありました。

再会を果たした後は友達が行きつけの居酒屋に向かい、そこで中学を卒業してからの進路や思い出話などを語り合いました。居酒屋を出た後は、友達の勧めでカラオケ店に行くことになりました。

私はそれまでカラオケは人生で数回しか行ってなくて不慣れだったので、相談して利用時間は控えめの1時間にしました。しかし1時間は思った以上に早く過ぎ、予定時間の10分前になると、まだ歌い足りなさを感じました。結局もう1時間の延長を希望し、存分に歌うことができました。お店を出たのは23時前後で、それからは二人で話しながら同じ帰り道をしばらく歩き、また会おうと約束して別れました。

 

この日をスタートとして、それから2年近く経った今でも、およそ2週間に1回くらいのペースで会って遊んでいます。この間、一人ではできない色んな経験や体験をさせてもらいました。特に、友達がネット上の友人を紹介してくれたり、時には私が友達の職場の飲み会にお邪魔したりもして、それらをきっかけに多くの人々と繋がりができたのは貴重なことでした。今後もどんな経験や出会いがあるのか楽しみです。

 

さて、普段は2人で遊ぶことが多いですが、9日の木曜は、お昼に約束してた市役所の中に入ると、友達のお兄さんも一緒にいました。お兄さんとも随分会ってなくて、再会したのは小学6年生の時以来、16~7年ぶりでした。その頃とは変わって体型がスリムになっているように見え、またマスクを付けていたのもあり、友達に紹介されるまではお兄さんと分かりませんでした。

2年前に友達と居酒屋で話した時のように、お兄さんとも終始、お互いの進路などの話で花を咲かせました。

その日はお二人の用事で、3人で市役所と携帯ショップに行きました。携帯ショップには新しいスマホを購入する契約をするために2時間以上も居て、自分も一昨年の年末にスマホデビューした時はこのくらい時間がかかってた事を思い出しました。

担当スタッフの方が席を離れている時、お店を出たら3人で食事に行くことをお兄さんに提案したのですが、残念ながら夕方から急用があったらしいです。

購入契約を終えてショップを出たら、数分後にお兄さんとはお別れになってしまいました。

 

そのため、その日も普段と同様2人で飲食店に行きました。今回選んだお店は4000円で食べ放題の所でした。

たくさん食べたいと思って唐揚げやごはん、冷奴や枝豆など色々なメニューを注文しました。しかし、それらのメニューに加え、注文した覚えのない焼き鳥が1人前で10本用意されたため驚きました。

店員さんに尋ねて初めて、食べ放題に焼き鳥が付いていたことが分かりました。

実は、あらかじめその店員さんから食べ放題の詳しい説明を受けていたのですが、2人ともよく内容を理解できずに聞いていたのでした。理解できてなかったら質問すれば良かったのですが、きっと長時間の用事が終わった直後で疲れてたのでしょう。

テーブルの上に置かれた盛りだくさんのメニュー(その写真を載せたいけど、残念ながら撮ってなかった)を食べきれるのか不安を感じましたが、無理をしない範囲で、かなりの時間(2時間弱)をかけてようやく完食しました。

こんなに食べたのはいつぶりだったかな、というほどたくさん食べました。どのメニューも美味しくて満足でした。

 

お店を出た後は「何処に行こうかな」と2人で考え、1カ月半前に完全防音の個室がオープンしたネットカフェに行く案も出ましたが、結局カラオケに行くことになりました。飲食店で食べた後にカラオケに行くのは、夜2人で遊ぶ時によくある流れです。

昔はお互いに歌いまくっていましたが、この頃はカラオケに少し飽き気味になっていて?双方ともその頃のほど歌う事は少なくなりました。

でも、カラオケ店は個室で長時間過ごせるのもメリットの一つです。眠くなったら長椅子の上で横になることもできます。なので、まったく歌わないと目的外の利用になってまずいと思いますが、あまり歌わなくても、その環境を求めてカラオケ店に行くことは未だに多いです。

昔はよく深夜の閉店時間までルームに入っていました。しかしその日は、私が24時までには自宅に帰りたいため、入室して3時間少々で日が替わる前に店を出て、近くのディスカウントストアで買い物を終え、別れの挨拶をしました。

その日は、お兄さんとの久々の再会と、飲食店での食事が印象に残る一日でした。

熊本駅の新駅舎を観に行ってきた

このブログでは、自分が住んでいる熊本市の情報についても、現地に行って撮った写真を取り入れつつ、たまに紹介していけたらなあと思います。

 

では早速、1つ目の記事は少し前にあった熊本駅での大きな変化について。

すでに1か月半前の出来事になりますが、熊本市の玄関口である熊本駅の新駅舎が3月16日(土)に完成しました。

その情報を聞いた私は、完成した日の翌日、実際に観に行ってみることにしました。

自宅から自転車で走ること20~30分、熊本駅に到着しました。

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少し見えにくいですが、外壁の中央上部に「熊本駅」の文字が見えます。

 

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外壁を横から見た様子。
この少しなだらかになってるグレーの外壁は、熊本城の石垣「武者返し」をイメージして作られたそうです。(次の写真は駅に行った帰りに撮影した熊本城)

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新駅舎を正面から見ると壮観で、その姿は現代的な感じを受けましたし、何より熊本らしさがあるので良いなと思いました。

 

駅舎の中にも入りました。「肥後よかモン市場」という商業施設があり、現在その中には約60のお店が入っているそうです。飲食店も充実していて、どのお店で食べるのか迷ってしまいます。

外観だけでなく構内も旧駅舎の時とは大きく変わりました。子どもの頃から馴染みあった駅舎がもう見られないのは少し寂しいですが、一方でこの生まれ変わった熊本駅にだんだんと親しみを持ち始めました。

 

当初は新駅舎の様子を観ることだけが目的でしたが、現地に行くと駅前の広場で、事前に耳にしていなかった盛大なお祭りをやっていたので驚きました。

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多くの屋台が並んでて、家族連れのお客さんを中心ににぎわっていました。
私はどの屋台を選ぶか迷った末、「阿蘇あか牛カレー」と「幻のチーズケーキ」を買って近くのベンチで食べました。どちらも美味しかったです。

 

駅前広場の反対側を見ると、熊本のローカルテレビ局KAB(熊本朝日放送)のキャラクター「ケービィー」が目立っていました。

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写真中央に映ってるのがケービィーです。写真左のビルのガラスにも映っています。

このケービィーは空気で膨らませて作った遊具と思われ、人が中に入れるものでした。

子どもたちが中で遊ぶことで、ケービィーがゆらゆらと揺れ動いていました。

ケービィーは熊本県外の読者ならば初めて知った方が多いと思いますが、自分が昔から気に入ってるキャラクターなので、最後に紹介してみました。

 

新しい駅舎・お祭り・ケービィーなど色々なものを観たり、美味しいものを食べたりできて楽しかったです。

新元号になった

元号の令和になりましたね!

 

元号を迎える際、テレビ番組ではカウントダウンが行われ、令和に変わるとネットでは「令和明けましておめでとうございます!」という言葉を使ってお祝いしてた方を見かけました。

まるで新年を迎える時と同じ様子を、この春の中頃の時期に見たので、少し不思議な気持ちになりました。

元日の後にしばらく正月休みがあるのと同様に、この日の後もしばらく休日が続きますから、なおさらそう感じさせます。

 

みそか以外の日に、日本中の人々が翌日へのカウントダウンをする日なんてかなり珍しい。

今日は、この先10年も20年もなさそうな、特別な一日だったと思います。

私にとっても、自分は平成生まれですので、新元号を迎えたのは今日が人生初めてで、その意味でも特別な一日でした。

 

元号に変わりましたが、これからしばらくの間も、まだまだ令和フィーバーは続きそうな気がします。

自分の中でも、「平成はもうすっかり過去の元号」だとまだはっきり認識できていないので、「令和」に慣れ切るまでは余韻が残りそう。

それまでは、うっかり書類にその日の日付を書く時に「平成31年」と書かないように気をつけます。

 

元号の瞬間は自宅で迎えました。

本当は、人々が多く集う市内の中心街へ行って、またとない様子や雰囲気を楽しみつつ、カウントダウンと新元号の瞬間を迎えたかったのですが…。

残念ながら、最近は訳あって深夜には外出しないようにしてるために叶わず、ちょっとそれが心残りでした。

8か月後の大みそかの日は外に出ようと思います。